今日は、ほぼ最終出勤日だった。「ほぼ」というのは、正確には退職まで出勤日はあと2日あるから。
12月末退職で有給消化をするのだが、人員が少ない土曜や日曜は出勤してほしいという会社の意向に沿った形だ。だから平日に出勤するのは今日が最後。それもあって「ほぼ」最終出勤日。
土日祝は休みを取る主婦さん達と顔を合わせるのは、最後だった。
私は職場の人たちとまったくと言っていいほど交流していなかったので、たいした挨拶もするつもりはなく、むしろせいせいすると思っていたのだけれど、彼女たちは違った。
隣の席になっても雑談もせず二言三言しか話さなかった私に、「お疲れ様です、お会いできるのは今日で最後なので。」とおいしそうなお菓子をくれる。なんだその優しさは。入社して8ヶ月の間に1回も一緒にお昼に行ったこともないのに。
さすが、世の中を上手に渡ってきた人たちだけのことはある。一匹狼を気取った人嫌いの私とは違う。
おそらく世の大半の人はこれくらいの"社交辞令"を当たり前のようにしているのだろう。そうやって世の中を上手に生きているのだ。私にはそのスキルが欠落している。どこを探しても、ない。
誰かが「去る」時には少しでも関わったことに対する「お礼」を伝える。言葉なり、物なり、で。それが礼儀なのだ。
しかし私は違う。嫌いな人にはお礼も述べない。お礼を伝えないことで「あなたのことは嫌いでしたよ」と示したい。今回は、退職する人が置いていく「皆さんでどうぞ」というお菓子すら用意するつもりはなかった。だって深く関わってないから。
でも、どうやらそのスタイルはあまりよろしくないらしい。一般的ではないらしい。
そんなに親しい付き合いがなくても、お別れの言葉やお別れの品を送るのが世の中の大多数のようだ。正直、私にはどうしてそこまでするのかがわからない。二度と会わないのに、相手のために時間を割いてくれることが理解できない。
私にはそいういう「情」や「社交性」が明らかに欠落している。自己中が極まりすぎた。
だから今回も、予期せぬ人からもらったおいしそうなお菓子やメッセージにかなり動揺した。
「なぜみんなこんなにしてくれるのだろう」と。
私には、できない。
ただ、そいういうことが「普通」なのだというのだけはわかった。
だから、せめてお返しとして、本当の最終出勤日には、お菓子くらいはお渡しして帰ろうと思う。
風月堂のゴーフルあたりでいいかな。缶の捨て場に困るがよい。